「本人・家族吊し上げ会議」になっていませんか?

019年12月09日

 

この土日、東京・秋葉原で「、ふわりんクルージョン」でした。

何年かぶりに、東日本大震災以降、使っていなかった頭の回路を復活させた感じの勉強になった会でした。その整理はまた、として。

そこ中での立ち話的なお話なのですが。

詳細は書けないですが。

介護保険や障害者総合支援法の中に制度的に位置づけられるようになった「個別支援会議」。「サービス担当者会議」。ご本人やご家族を入れて会議を行うことが必要・望ましいとされていますよね。

制度化されたのには意味があるわけですが、こいつがけっこう危険。

病院でも患者、家族を入れての会議もありますし、少し前に炎上した〇〇会議とかも(あれは本来ちょっと違いますが)。どんどん、そういった会議が制度化されます。

が、

実はそういった会議は二つの前提があります。

ひとつは、関係者は「性善説」に基づいた「専門性」を発揮するという前提。ここでいう「性善説」に基づいた専門性とは【ご本人、ご家族】の希望を第一にするということ。

もちろん、ご本人とご家族の希望が違うことは多々ありますが、ここではちょっと置きます。

もう一つは、集まった関係者、特に同業者が同じ意見をもっていること。

でも、みなさんそんなにうまくいってますか?

実は私はこの制度化された会議が「大嫌い」。

誤解のないようにやらなくていいとか、やめてしまえとか言ってるわけではないですよ。形骸化してるとめんどくさいとか無駄とか思うこともありますが、集まることには意味があることももちろん多い。

ただ。。。

この会議に

私がつけた別名は「本人・家族吊し上げ会議」。

くりかえし支援機関が「できない」「無理」を繰りかえし、本人、家族を批判し、説得してやめさせよとする。

本人の意思発意を制限する。ご本人が言えないなら決められないなら必要ないですという。

意見の違う事業所を集団で説得、従わないなら、「あんたのところがすべてやれ」とソフト恫喝

そんなことになるケース、特に重い障害のあると言われる人の会議である話と、カイマキキマス。

支援機関がすべてポジティブに応援できない場合は本当にやめてほしい。

ディスパワメントはともすれば虐待です。