障害者自立支援法を総括してみる(1)

それでは、改めて障害者自立支援法を総括していきたいと思います。
何回シリーズになるかわかりませんが、おつきあいください。

0.このたびの総選挙で、民主党を中心とした政権が誕生した。選挙前の公約(マニュフェスト)にて、障害者自立支援法の廃止は、連立3党ともマニュフェストにかかげられ、その公約どおりに、9月19日には、新政権の長妻厚生労働大臣が「障害者自立支援法の廃止」を明言した。その発言を前にしても、すでにでていた民主党のマニュフェストなどを基にして、障害者自立支援法後の動きは、関係者を中心にして活発化しており、すでに障害者自立支援法は亡きものになりつつある。
 しかし、私としては障害者自立支援法が多くの批判をあび、抱えながらも成立し、そして施行、運用されてきたことをして、すべてを0にして、次があるとは思えない。批判の多くのターゲットになっていた1割負担や障害程度区分にしても、その検証をしてはじめて、その次の制度の議論ができると思っている。
 私は、今から思えば、障害者自立支援法のもとになった2004年秋の「グランドデザイン」は、介護保険の統合を前提としてマクロ的には、見事な絵描きだったようにも思える。介護保険との統合をすることによって、年齢別に縦に積み重なるようになっていた両制度を、財源的に二重円に書き換えて、介護保険のメニューにあるコアな部分の財源は保険で担い、その外に障害者予算という税財源、そして、その外の3重円に、地域=市町村で担う事業という財源論をもとにして見事な絵を書かれたと思う。しかし、介護保険との統合という政治的な議論は、見事に根底から崩され、核になる財源論を失った制度は、ある意味糸の切れた凧のように、迷走していく。
 障害者自立支援法はマクロ的には成功と失敗が半々、ミクロではほぼすべて失敗、メゾレベルではほぼ成功という感じがしている。この文章では、国家の社会保障制度として、障害者自立支援法がどうだったか、というマクロな視点、そして、実際の支援の現場からみた制度の細かな面、そして、地域づくりという意味でのメゾレベルの視点という大きな3つの部分にわけて、支援費制度の3年から障害者自立支援法がひきついだ3年半を振り返ってみようと思う。