いわゆる高次脳機能障害者の地域での生活を再構築するための・・・

私が「学会的なもの」とから距離をとって久しい。そんな中で、とあることからそういった「学会的なもの」との接点を「視点」として、再度もつ必要がでてきた。
あまり、自分自身、研修というものに参加することもなく、現場で使われていることばも理念と解離されて使われていることも多いから、あまりそこに、力点をおくこともなかった。
また、福祉の分野でいえば、あふれまくる「カタカナ」用語のひどさは、90年代以降、どうしようもなくなっているわけで、そのどうしようもなくなっていることにきちんと立ち向かう気もなくしているから、改めて対峙するつもりをもたないと結構、どうしようもないなぁ、と感じていた。

 きっかけは、現場から。2年ほど前からうちに理学療法士さんが来てくれた。その理学療法士さんと会話を重ねる中で、おもったり、感じたりすること、そして、彼らの理念や専門性テリトリーを垣間きくなかで、自分たちがやっていることと、実際の多職種連携の支援のなかでおこってくる「すきま」と、「支援の連続性のためのマネジメント」をどのようにするべきなのだろうかという疑問を強くもつようにもなった。

 今回のエントリーのタイトル、実によくわからないタイトルだ。このタイトルをつけるにあたっても、さまざまな、横文字のことばをならべてみた。が、少しそれを調べてみると、あいかわらずのわけのわからない「カタカナ」用語の乱発で「意味がわからない」状況になっていることだけが露呈する。では、このことは、医療従事者なら(医療モデルなら)解消する、、、わけでも[ 当然]ない。検査の方法や術式などきわめて数値化ができているものをのぞけば、実はよくわからないことばがあちらも乱立しているようだ。その最たるものがエビデンスとナラティブだったりする。
 話をもどそう。
 当初はICFからの生活モデル、とか。ストレングスモデル、とか。つかってみようかと思ったが、いくつかの文献をみた瞬間にやめた。そのことばを使うことで誤解を招く気がしたからだ。

 いま自分たちは、大きな仮説をもとに、多職種支援のアプローチを実践している。この多職種支援ということばもよくわからないことばで、誰と誰、どの専門職とどの専門職がみたいな話になるとまた、めんどくさい。とりあえず、ここでは、かっこよく、理学療法士精神保健福祉士社会福祉士介護福祉士、相談支援専門員 といっておこう。そうすると、多職種支援といっていいだろう。個人的には、毒を吐けばそれぞれどんな専門職やねん、資格をもっていれば専門職といえるんかい、といいたいところだが。だから、はじめにこの取り組みをするときに、それぞれの役割をきちんと明確化した。福祉職のスタッフはどうもここらあたりが苦手で、とくにうちのスタッフはすぐに「よりそって」しまう。別の場面ではとってもすばらしい実践力なのだが、今回のプロジェクトでは、そこは修正をしていただいた。

 高次脳機能障害者に限らず、中途障害者は「リ・ハビリテション」を強いられることになる。まさに、生活を取り戻す。生活を再構築していく。そのことは避けて通れない。進行性の難病による中途障害者と医療的な症状がある種固定される方とでも実は違っていて、再構築のやり方もかなり違う。
 今回の仮説はその中でも、脳損傷の患者で、身体的な障害が少ない(車いすは常用ではない)かつ、記憶障害、遂行機能障害、注意障害などがあると診断された方を対象に、「医療制度の中ではリハビリが終了」し、かつ、「就労支援(就労リハビリ)」の対象ではないといわれている方たちへの「リハビリ視点を加えた」生活再構築プログラムの有効性についての仮説である。
 この前者の「医療制度の中ではリハビリが終了」はわかりやすい。精神科のデイケアをのぞけば彼らに対して行われる医療制度の枠のリハビリは縮小している(もちろん、自費は別)。後者の「就労支援(就労リハビリ)」の対象は、よくわからない。わたしなどのいいかげんな現場的な視点をいえば、本人が就職したいと思ってとりくむことすべて、といいたくなるが、それはおそらくダメだろう。しかし、障害者総合支援法上の就労支援施設や職業訓練校がこれにあたるといわれると、なんかちがうよなとおもいつつ、うけいれざるをえないのかなともおもう。
 また、「生活リハビリ」ということばをつかおうかともおもったが、これもたぶん、違うなと。「生活リハビリ」はかの有名なM氏が高齢者支援の場面で広くつかったことばで、おそらくそちらの意味が強いのでやめた。そうすると、自分たちの思うことばがない。まぁ、ことばがなければつくってもいいが、それはあんまり思ってもいない。

 私たちが対象にしている方は、医療リハビリの世界の中では、リハビリ対象者になりにくい、リハビリの効果のあがりにくい方なのだそうだ。ご本人や、ご家族はリハビリを強く望まれている、が、リハビリを受けることができないという現状がある(訪問リハは除くが)
 批判をしても仕方がない。あたりまえである。医療リハは、短い時間の中で、強い効果性を求めてアプローチを行うものとされているのだから(そのことについてのはなしはここでは主題ではない)。また、退院に近づくにしたがって、とにかくも歩けてADLが自立、に近い方については、生活上のこまりごとは、記憶障害や遂行機能障害、そして、注意障害と称される障害だ。充分な時間がとれないなか、都道府県にある高次脳機能障害の専門のセンターに入所(・通所)して、という方もおられるだろう。そして、そこでは集中的にそれらの障害へのリハビリ?が行われる。
 そのセンターからの「地域移行」の支援ニーズがうちに近年、多く寄せられている。

 高次脳機能障害として称される
/なぜ、こんな言い方をするかというと高次脳機能障害という言葉がそもそも行政用語でしかないからだ。最近、このカテゴリーづけはやめてほしいと思う。「難病」というカテゴリーも広すぎて困る。狭い意味の「社会福祉」でいえば、支援の共通項は一定以上存するので、許容できなくはないが、医療から福祉、生活へのマネジメントのなかでは、かなりうっとうしい。共通言語化(コンセプト化・コード化)しにくくてしかたがない。/
「障害」も実はかなりあいまいで、また、それぞれの「障害」もよくわかっていないらしく手探りのようだ(私はここの専門家ではないのであいまいな表現になる)。脳損傷特有の半側空間無視などはもっと研究されてほしいと思う。
 わかっていることは、「なんらかの」脳の障害によって、行動に一定の「行いづらさ」があり、生活のしづらさが起こるという点である。中途障害に必ずある「障害の受容」はここでは前提中の前提なので横に置いておく(これはこれで大きな課題なのだが)。

 そこで、最近、研究や実践が進んでいる発達障害の方へのその中での支援・アプローチ方法を応用することと脳と身体の相互作用に強く着目して、生活スキルの向上と再構築に効果がみられるだろうという仮説をたてて実践を行っている。特に参考にさせていただいたのは、 水野敦之さんの「「気づき」と「できる」から始める フレームワークを活用した自閉症支援」です。
記憶障害や遂行機能障害、注意障害は、自閉症スペクトラムよりもADHDの方の行動に似ているように思われるかもしれませんが、方法論的には、フレームワークをつかい、
①視覚的なわかりやすさ →見通しをたてる →忘れたときにも確認ができる 
※記憶障害支援に使われるメモリーノートとの併用によって、日常生活の代償手段として身につけていただく
遂行機能障害や注意障害のある方は、細部よりも全体に注目がいきがちになるので、細部に注目する特性をいかしたこの方法論を逆に活用して、細部への注目を行うように構造化を行う。
③環境のセットアップを「個人で集中できる環境」と「グループで行える環境」とを併用し、かつ、プログラムを個人・集団/グループだけではなく、「パラレル」=同じ作業をあえてグループにせず、個々で行うプログラムを導入して、注意の切り替えをトレーニングする。
④生活上にとくに課題にならない身体的な障害=麻痺に対しても、積極的にアプローチを行う

そして、この限られた空間・時間だけでなく、生活上にこれらのアプローを生かす工夫をいれていただく(実はこれが一番、難しい)。また、ご本人にはつらいだろうが、就労訓練もセットし受けていただく、などの総合的なアプローチを行う。この部分は、障害の受容にもかかわる。

 こういったアプローチは、いわゆる「福祉」ではない。また、「医療」でもない。個人のストレングスに着目するアプローチからすれば、介入しすぎだろう。しかし、過渡的に時期を決め、ICFでいう環境要因に対してのアプローチを「あえて作り出す負荷」によって行うことによって、生活スキルの向上と再構築に寄与できるのではないかと思っている。←これが仮説

 さて、こういった実践が、はたして学会的なものなのか、どうなのかは今後、問われていくだろう。現状は、その地平にはかなりの距離があることはよくよく承知しているが。 

ACTの周辺の福祉的支援って何?

 昨日、寝屋川の保健所の主催で花園大学の三品先生の「イギリスにおける精神障害のある人への地域生活支援ACTを中心に」という研修会が行われて、参加してきた。
 ACT=Assertive Community Treatment。日本でも先駆的に行われているACT-Kにも取り組まれていて、イギリスのバーミングガム、アメリカのインディアナ州、そして日本の話を、2時間あまりたっぷりときかせていただいた。

 あらためて書くまでもないかもしれないが、とみた自身は、ACTや包括的な地域生活支援、「ケアマネジメント」といった用語が先んじる議論はきらいである。昨日の三品先生のお話はたいへん勉強になったし、興味深かったが、だからといって、ACTはすばららしいというつもりはサラサラない。

 昨年の夏に聞きに行った 日本外来精神医学学会での西田先生のイギリスの話。早期支援・早期介入=日本外来精神医学学会にいってでのロンドンの話と、昨日の三品先生のバーミングガムの話。がリンクして、イギリスがNHSの中で精神医療に関して何をしようとしているのかがとてもよくわかった。たまに読む高齢者のケアマネジメント論のカリスマの一人竹内孝仁氏のニューキャッスルのケアマネジメントの変化の話ともオーバーラップする。要するにコミュニティケアの実現のためのミクロとメゾレベルの方法論と政策展開である。三品先生の「とにかく入院させない」と何度となく、繰り返されたことばが印象的だった。私の理解ではACTはケアマネジメントではなく、危機介入モデルの包括的チームアプローチモデルでしかない。そういった意味で、医療が福祉を包含したという言い方は正確ではなく、「医療と福祉の統合的な地域生活の場における医療支援」というように思った。三品先生は、ACTは地域医療ではなく、生活支援だといわれていたが、私にはそうは思えなかった。地域生活の場での医療支援という言い方の方が私にはぴったりきた。
 
 その話をききながら、逆に、福祉のことを考えた。イギリス的な言い方をすれば、ソーシャルサービスになるだろうか。研究をされている諸氏の中で、ご存知の方はぜひ教えていただきたい。継続的に支援を必要とする人たちの生活支援を。
 昨日のACTの話でもアメリカでもイギリスでも形は違えどピアサポートの重要性が説かれていた。そこには、おそらくリカバリーをした先の「生活者」としてのロールモデルとしての役割を期待しているのだろうと思えた。ノーマライゼーションの思想を持ち出すまでもなく、この30年の世界の障害者福祉の趨勢はインクルージョンである。特別な支援の場ではなく、地域社会の中での【生活者】としての生活である。しかし、精神障害者であろうと、身体、知的障害者であろうと、継続的に【生活者】として生活するために支援を必要とされる方は数多い。権利擁護、経済的な支援、住居、生活支援(介助)、就労、教育、移動など。日本では、まだ、特別な福祉(関連領域)として語られる分野である。では、ACTやイギリスの危機介入モデルの周辺部の【生活者】としての支援が見えない。一市民、一【生活者】としての地域社会で暮らすための支援の実態を誰か教えて下さらないだろうか。それこそが、本来、日本でいう「福祉」関係者が知りたいことなんじゃないのかなぁ。

公(こう)・公(おおやけ)と地域・コミュニティ

公(こう)・公(おおやけ)と地域・コミュニティ

 私が大学院のときにお世話になった先生の傘寿の会のご案内をいただいた。先生とは池田敬正先生。社会事業史、社会福祉史の先生である。
 大学院当時、先生を囲んで私たちは、好きな議論を思う存分にさせていただいた。当時のメンバーの多くは、いま、教壇にたち、研究職をされている。「野に降りた」(昔の言い方だな)私は、珍しい存在である。

 当時の学びの中で、とても強烈に示唆を受けたことの一つに、公(おおやけ)の考え方がある。大学院修士課程の当時に指導をして頂いた柴田善守先生と池田敬正先生。考え方は違うが、大学時代から地域(コミュニティ)に興味をもち、研究をしようとしていた私は、洋の東西の公と地域、そして、下からの公と地域、そして「官・公・民・私」の歴史的な考え方を学んだ。その学びは、いまだに私の思想の中心にある。

 いま、日本はこの「公と地域」について、大きな転換点にある。それは、社会構造そのものが変わってきていて、考えなければならない時期にあるという意味と、政府が盛んにそのことについて、議論をしているという意味の2つで、である。

 いま内閣府が議論をすすめている2つの会議がある。
一つは、新しい公共について
新しい公共】円卓会議
    http://www5.cao.go.jp/entaku/index.html

もう一つは、国と地方の関係を見直そうという会議
 地域主権戦略会議
    http://www.cao.go.jp/chiiki-shuken/kaigi/kaigi-index.html

福祉とは関係ないやなどと思わないでほしい。「えらい」議論が行われていて、すごいスピードですすめられている。
2つの会議に共通するのは、歪められた歴史認識だと思う。どうも、この国のこういった会議に出る識者や政治家は、明治期の帝国主義的な家族思想、地域思想に固められているように思えて仕方がない。新しい、とかいいながら、基本は40年前の日本型福祉国家思想当時の考え方と何も変わらない。
 中央集権的な国家作りをめざし、それを100年かけて、政治的、行政的な権力によって実現し、自主的な「公」を破壊し、末端の社会的基礎集団である家族までもその仕組みに組み入れたのちに、また、違った形のトップダウン的な権力的構造変換を求める。その際に、多数権力にのみ依拠する歪んだ民主主義と、市場化個人主義に依拠し、さも、住民自治というきれい事を並べていく議論をされてもその先にあるものは不安でしかない。

ものすごく乱暴な議論をすれば、日本はこの100年官僚主義的な中央集権国家を管理国家として実現してきた。それは、国−地方−地域・会社−家族−個人という構図を作り上げ、市場化資本主義に対して、日本という国営会社が計画的に取り組んできた。グローバル経済化の中で、その国営会社の経営方針が通用しなくなり、傾いているのだと思う。

新しい公共」「地域主権」などという美辞麗句を並べられても、根本的に国の形をどうしていこうとしているのかが見えないのであれば、それは、積み上がる国の借金を単に、地方や国民に押しつけるだけでしかない。責任のなすりつけでしかない。人口構造の変化だけをして、成熟した社会であるという偏った見方、民主主義を多数決主義と勘違いしている議論、貧困化していく社会の中では格差が固定化し、「参加」は丁寧な社会的補償を行わなければ担保されない。それこそが民主主義の根幹の一つではないのか。
何か、まちがっている。そう思わざるをえない。

「−8」の怪 障害者自立支援法を総括してみる(4)

私自身が、障害者自立支援法の中で、もっとも首をかしげる取り決めの一つは、日中活動の支給決定の上限の設定である。障害者自立支援法では、介護給付の日中活動は、最大「その月の日数−8」しかでないことになっている。この規定は、障害者自立支援法の詳細が決まるに従って出てきた規定であるが、この規定については、なぜ、なんの目的での説明が論理的にできない。

 障害者自立支援法になり、それまで月割で出されていた報酬額が日割りになった。そうすると、日中活動施設は、月の開所日数をできるだけ「−8」の日数開所し、報酬を最大限得ようとする。そうすると、イレギュラーに土曜日に開所が行われたりする。

 さらに、障害者自立支援法のもう一つの特徴に、昼夜のサービス区別をしたことがある。24時間の施設は制度上(報酬上)はなくなり、昼のサービスと夜のサービスが分かれた。ところが、昼のサービスは月のうち8日間は保障されない。もともとの入所施設で暮らしている人は、8日間は対象にならず、その8日間に関しては、夜のサービスが昼もサービスを行うことになる。

 障害者自立支援法の一つの大きな目標が、【働く】を保障することであるならば、働くことを準備するための施設と位置づけられる就労継続や就労移行ですら、「−8」ルールが存在している。もし仕事が忙しかったら、土曜日に出勤することもあるだろう。一律にどうしてこのようなことが決められたのであろうか。

 常にケアの必要な人の場合、「−8」では支給決定量が足りない方もおられる。その場合は、結局、他のサービスや地域活動支援センターを組み合わせる必要がでてくる。

 「報酬の日割り」(これはまた別に)自体を絶対に評価できないものとは思わないが、「日割り」×「−8」は、財政的抑制しかその要因としては考えられない。介護保険とは違い、障害者支援の場合、財政的にも、地域福祉サービスの日中活動における割合や重要性が高い。それは障害者福祉が歩んできた歴史から生み出されてきたもので、それは単に、デイアクティビティサービスではない。「−8」には、お一人お一人の生活が先にあって、その生活を支えるという思想がない。日中活動のサービス種別そのものよりも、私はこの「−8」支給決定ルールに、障害者自立支援法の言い逃れようのない財政抑制の背景を思う。

障害程度区分について−障害者自立支援法を総括する(3)

 さて、障害者自立支援法の具体的な内容のことについて、話を進めていく。こうなってくると、結構、現場モードになる(苦笑)
 障害程度区分は、障害者自立支援法の導入にあたり、もっとも政治的なものだっと評価できるように思う。なぜならば、支援費制度から障害者自立支援法の移行に辺り、国が繰り返し述べていたのは、支援費制度の地域格差に対する批判であり、その実、地域や個人による給付・サービスの格差を問題として、全国一律の給付基準、その透明性を担保した新しい制度の導入するとしたからである。
 それが、この介護保険とほぼ同様の障害程度区分の認定作業である。
 結果、どうだったのだろうか。
 まず、「グランドデザインの通信簿」でも書いたように、導入時の目的を障害程度区分は達成できなかった。つまり、地域格差の解消には全く寄与できなかったのである。介護保険導入時も、判定の全国的なばらつきは存在した。特に、二次判定での変更については、かなりの割合で行われており、その後の改正にあたり、二次判定での変更についてのルールがどんどん作られた。その意味では、はじめから障害程度区分認定システムでは全国一律の仕組みが形骸化することはわかっていた。
 また、介護保険の認定システムの変更の歴史をみれば、認知症の方の判定の付加的対応の仕組みから、知的障害者精神障害者の判定が軽度化することはわかっており、たとえ、79項目に27項目をつけくわえても、その問題の根本的な解消にはならないことはわかっていた。
 さらに、介護保険との統合を前提にこのシステムを導入したとして、その前提が崩れたときに、障害程度区分は給付額と連動しないものと化した。国庫負担基準額との関係性は残ったが、区分間の流用という仕組みが残ったことなどを考えるとその実、ほとんどなんの役にもたっていない。生活介護などの報酬単価に障害者自立支援法の重度者への傾斜報酬の思想が反映されているが。
 軽度者の重度対応サービスの摘要制限機能としてしか機能していない。
 一方で、この仕組みは多額の費用がかかっている。その額は定かではないが、介護保険が、認定システムに年間400億円かかっているそうである。訪問調査、医師の意見書、審査会の開催、システムにかかる費用は、介護保険と同じく使われている。人数と頻度が違うので、400億にはもちろんならないが、数十億の費用が全国で年間使われていると想像できる。介護保険の方でもこの仕組みに対して、無駄遣いではないか、不必要ではないか、という意見もでてきている中、ほとんど役にたたないシステムは必要ないだろう。
http://blog.livedoor.jp/masahero3/archives/51335121.html
http://blog.goo.ne.jp/sirasawamasakazu/e/9265e4f305f4b5ea54085fced02b32c9

障害者自立支援法を総括してみる(2)

1.日本の障害者福祉施策において、支援費制度、そして障害者自立支援法は、多くの論者がすでにいろいろと書き連ねているように、社会福祉基礎構造改革の中から生まれた。(たとえば茨木尚子「社会福祉基礎構造改革の展開と問題点」『障害者総合福祉サービス法の展望』所収)ここではこのことについて、その是非や構造を分析するつもりはなく、事実としてこのことを抑えておく。
 2000年に施行された介護保険は、日本の社会福祉基礎構造改革からまさに生み出されたものであり、社会保険の仕組みといいながら、半額を税財源で担っているなんとも日本特有な介護支援の仕組みを作り出した。しかし、ここで注意したいのは、介護保険は、日本の厚生行政からすれば、大成功例だということである。この仕組みは、成立数年前から、介護保険の導入のために、多額の財源が投入され、インフラが整備され、さらに、民間の営利会社がその市場的手法をもちい、大々的に広報をし、介護保険事業を「市場のもの」とした。そして、それまでの申請主義にもとづいて、ハードルの高い役所の窓口にいって、家庭内の詳しい事情まで一から説明をして、頭を下げて支援をうけていたものが、ケアマネージャー(居宅介護支援員)という営業マンが、手取り足取り地域の中をくまなく歩き、代行し、サービスをすすめてくれる。
こんないい仕組みはない、というのが、障害者自立支援法を作った人たちの2003年当時の実感だったのではないだろうか。「だから同じ仕組みにしようとした」に過ぎない、と私自身は評価している。
その後の介護保険制度迷走をはたして、介護保険の設計者たちはどのように思っているのか、最近めっきり発言が減っている人たちだが。

そうして、障害者施策が社会保障の枠組みの中で議論されるようになった。
 私は、支援費制度を経て障害者自立支援法にいたって、ようやく障害者施策の話が、日本の社会保障制度の中で、きちんとその位置づけを語られるようになったと思っている。そのことについては、利点と欠点があるので、評価は難しい部分があるが、今後のことを思えば、それは必要なことであると思う。当事者にとっては、この間の制度の迷走はたまったものではないが、社会保障のひとつの分野として、日本の障害者施策がどのような位置づけをもつものであるのか、ようやく議論の入り口に立てているように思う。
 このことは、最後にくわしくふれていきたいとおもう。

次回からは、細かいミクロな点について総括していきたいと思います。

障害者自立支援法を総括してみる(1)

それでは、改めて障害者自立支援法を総括していきたいと思います。
何回シリーズになるかわかりませんが、おつきあいください。

0.このたびの総選挙で、民主党を中心とした政権が誕生した。選挙前の公約(マニュフェスト)にて、障害者自立支援法の廃止は、連立3党ともマニュフェストにかかげられ、その公約どおりに、9月19日には、新政権の長妻厚生労働大臣が「障害者自立支援法の廃止」を明言した。その発言を前にしても、すでにでていた民主党のマニュフェストなどを基にして、障害者自立支援法後の動きは、関係者を中心にして活発化しており、すでに障害者自立支援法は亡きものになりつつある。
 しかし、私としては障害者自立支援法が多くの批判をあび、抱えながらも成立し、そして施行、運用されてきたことをして、すべてを0にして、次があるとは思えない。批判の多くのターゲットになっていた1割負担や障害程度区分にしても、その検証をしてはじめて、その次の制度の議論ができると思っている。
 私は、今から思えば、障害者自立支援法のもとになった2004年秋の「グランドデザイン」は、介護保険の統合を前提としてマクロ的には、見事な絵描きだったようにも思える。介護保険との統合をすることによって、年齢別に縦に積み重なるようになっていた両制度を、財源的に二重円に書き換えて、介護保険のメニューにあるコアな部分の財源は保険で担い、その外に障害者予算という税財源、そして、その外の3重円に、地域=市町村で担う事業という財源論をもとにして見事な絵を書かれたと思う。しかし、介護保険との統合という政治的な議論は、見事に根底から崩され、核になる財源論を失った制度は、ある意味糸の切れた凧のように、迷走していく。
 障害者自立支援法はマクロ的には成功と失敗が半々、ミクロではほぼすべて失敗、メゾレベルではほぼ成功という感じがしている。この文章では、国家の社会保障制度として、障害者自立支援法がどうだったか、というマクロな視点、そして、実際の支援の現場からみた制度の細かな面、そして、地域づくりという意味でのメゾレベルの視点という大きな3つの部分にわけて、支援費制度の3年から障害者自立支援法がひきついだ3年半を振り返ってみようと思う。