介護の市場化から20年 見えているFieldとは?

毎年、ふわりんクルージョンのレポートを事細かに書かれる愛知県田原市の新井さんが、今年のふわりんクルージョンのレポートはこれだけ。「自分探しの旅へ(秋葉原) http://feel1999.cocolog-nifty.com/lallapallooza/2019/12/post-0742a7.html

 

さて。このふわりんクルージョン今年で10回目。
かの有名な「戸枝さん」が主催をしているこのイベント。
毎年のように強くお声かけをいただき、今年もお役目をいただきました。

 

そして、今年は彼の終わりの挨拶の中で、なんと「冨田」の名前が出ました。彼がその挨拶の文脈の中で「冨田」の名前を出さざるを得なかった現在の状況を、私は私なりにかなり重くうけとめています。

 

そして、新井さんが(単にそのあと旅にでたからかけなかったのかもしれませんが)、毎年のように書かれていたレポートが出てきてないことをこれも重くうけとめています。それは内容がどうのこうのということではありません。

 

この20年、いろいろなことがあり、いろいろな社会の動きがありました。
こうなることはわかっていながら、「それしかなかった」(これには大いに疑問がありますが)、2025年の超高齢化・団塊の世代の75歳突入にむけて、「介護の市場化」にふみきった。
そして、そのことは制度当初の目的を、クリスタルのように唱えられた「介護の社会化」には失敗しているけれども、十分な「介護の市場化」には成功したといえると思います。
おりしも、2000年日本は、失われた20年といわれる大不況の真っ只中。新たな雇用をうみだす必要性があったという側面も無視できません。いまや、医療・介護は産業別でいえば、全体でも三位、女性は一位です。

産業別就業者数(男女計、就業者数計=6,664万人、2018年平均)

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/chart/html/g0004.html

 

こうした「介護の市場化」はことばを変えれば「制度ビジネス」の成立という側面も見いだしました。当初いわれていたシルバービジネスの創出にももちろん成立していますが、反面、全く制度外の大きなビジネス市場を生み出したとはいえないようにも思います。ここらあたりは日本の国民の政治への不信感と揶揄されることともリンクするでしょうね。つまり、一番もっているはずの高齢者の資産を市場に排出できない状況があいかわらず続いている要因です。いったいどこに資産をもっている高齢者はお金を使っているのか?ということになります。これに説得力のある資料は私はいまだみたことがありません。

 

こうした「介護の市場化」は保育や障害福祉の分野にも大きく取り入れられ、いまや介護・福祉・保育はサービス化し、ユーザーは「消費者」になってきました。それが「市場」か「制度」かということに左右されず、いまやあたり前になりました。

 

そして、いまわたしたちの目前に広がる(荒)野は、自ら生み出すエネルギーを仲間と共有し大きなエネルギーとする営みをみんなが失ってしまっているFieldです。本来、そのことを積極的に取り組むべきNPOは、「社会課題解決」という毒入りの美辞麗句により「制度化」され、そのエネルギーの多くを失ってきています。いまや「社会課題解決」はMarket niche needであり、営利企業にその主役を渡しつつあります。

よりAdvocateなSocial problemは(本来のポジションなんですが)「政治的(political)」かつ「Ideology」に近接・傾斜してきているように思えます。そして、それらはポリティカル・コレクトネス political correctness 社会の中で、深層で大きく分断化されているように感じます。

その分断化された社会深層が一気に顕在化するのではと思わなくもないですが、それはいまの日本の世界の中での位置を考えたときに、そんなことをしたら日本自体が沈没してしまうという懸念から起こらないのかなという気もします。極めてブラックですが。

 

私たちが実現したいと思ってきた社会は、市場が全面&前面の社会ではなかったはずです。市場はあくまでも手段だったはず。

エネルギーを失い「制度ビジネス」servantと課した「福祉業界」に未来はあるのか?

 

そういったことを考えるに十分な時間でした。

私自身もこの15年。狭い地域にひきこもってきていましたが、そろそろ大きく動きはじめようか、と思いはじめています。