グランドデザインの通信簿(裏)

さて、3回のエントリーにわけて、今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)平成16年10月12日は、厚生労働省障害保健福祉部は、障害者自立支援法で達成できたのだろうか?ということを細かくみてみました。
その後の展開を知っているので書きづらいですが、このときには、まだ介護保険モデルというよりも、それまでバラバラであったいわゆる三障害(身体、知的、精神)の制度統合と、施設の目的的再編が先行していたような印象をうけます。しかし、その後ろにあったのは、給付の重点化・公平化、効率化であったことはまぎれもない事実なのですが・・・。

 障害者自立支援法の総括を前に、グランドデザインの総括をしたのは、グランドデザインで示されたが、実際には、障害者自立支援法になって(またはなる前に)、いろいろな力関係の中で、実現できなかったものがあるだろう、という意味合いからです。実際に、こうして、細かく見てみると、グランドデザインでは示されていたが、消えているものも数多くあった。また、障害者自立支援法には示されたが、実際の細かい運用の中で、おかしくなったものや、方向性が変わってしまったものもある。なぜだろう。政治の駆け引きなのか、それとも財政のかけひきなのか。特に、相談支援の部分については、グランドデザインでかかれたものと、障害者自立支援法ででてきたものとには雲泥の差がある(評価は別にして)。おそらくは、グランドデザインが出たあとに、介護保険との統合に失敗したためと見るのが正論なのでしょうが。

 政治的な駆け引きとして失敗した介護保険との統合議論。それを失敗したが、介護保険側のことを考えたときにやはりその後の選択肢として、残しておかなければならなかった障害者自立支援法は、「財源」というエンジンを得ることができず、支援費制度の批判をひきづったまま、迷走していきます。

 しかし、このグランドデザイン。改めてみてみると、構造的にはよくできていると、私は思います。それは

① 評価は別にして、それまで、日本の社会保障制度の枠組みからははずれたような形で進んできた精神障害者福祉を含めた障害者福祉施策を、きちんと社会保障の枠組みの中に入れることができるように、制度の設計がなされています。つまり、【痛み】を伴った改革だったとしても、きちんと議論できる土俵に制度がのかってきた感じがします。もちろん、普遍的な社会保障議論で障害者福祉政策が議論しつくせるとは思いませんから、あくまでも土俵にのった、です。

② 印象的に、グランドデザインで描かれた障害者像は、まるでエリザベス救貧法時代の「有能貧民」・「無能貧民」・「児童」の分類の仕方のようですよね。【就労が可能】か否かで、価値が決まるという能力主義。それが批判の対象になるわけですが・・・。ただ、間違えてはいけないのは、「就労したい」という思いをもつ障害者のためには、一定効果が得られた仕組みであるという事実です。これについては、障害者自立支援法の総括で改めて、項を起こして書きたいと思いますが。
しかし、その評価は別にして、支援像を描き出したという意味では、評価できるように思います。

③ 一方で重い障害の人に対しての仕組みづくりには大失敗をしています。これはおそらく、モデルが介護保険しかなかったからなのかもしれません。

④ 児童、精神に関しては、まだ検討途上ですね。

そういう意味で、
障害保健福祉の総合化はすすめることができる仕組みを一定程度つくることができた。
自立支援型システムへの転換は一部、有効に機能することができた。
と、評価できるようにおもいます。

 このあとに、障害者自立支援法の総括にいくわけですが、それにしても、厚生労働省からでている資料や数値がなさすぎて、総括することも難しいな、と思います。昨年の社会保障審議会の資料を順番に読んでいって、そこにある数字を引っ張ってくるのですが、たとえば、障害者のホームヘルプサービスの実数の数字比較をしたいと思っても、することができない。制度がころころとかわったで含める範囲がかわることと、同じ月の集計でも、なぜか、数字が全然違うことが多くあるのです。
 でも、なんとか、がんばりたいとおもいます。